大工夏合宿’98in東北編
8/11(合宿前々日)
昼を食べた後、広島の友達の家から合宿の集合地仙台に向けて出発。
また鈍行の旅だ。はっきりいってもう慣れた。とりあえずたいしたことなく
電車は進み、自分の街を横目に見ながら通り過ぎ、大垣に着いた。
ここで門田先輩&菊澤先輩と合流。大垣からの臨時夜行に一緒に乗る。
名古屋で停車中に山本を見つけて、「ながら」
に乗る彼をみんなでうらやむ。
8/12(合宿前日)
夜行の終点東京で改めて山本と合流。上野で朝ご飯を買う。
門田先輩はファミマで「冷やしラーメン」(中華ではない)という
妙なものを買っていた。あんまりおいしくなかった。無事仙台に着き、
村尾が遅刻してくる以外は特になんにもなく、
平和に公園でテントを張って寝た。
8/13(合宿初日)
さぁーて、気合一発頑張って行くぞ!と走り出したのだが、
CP1にも
たどり着いていないのにいきなりパンク。ぶっといネジが刺さっていた。
この日いきなり僕はやる気喪失。合宿はまだまだ長いというのに・・・
8/14(合宿二日目)
まぁブルーをいつまで引きずっていてもしょうがないや・・・と心機一転
頑張ろうかと思っていたんだけど、目の前には「花立峠」という強敵が現れた。
ダートの峠ってこんなにしんどいわけ?一旦止まると全く前に進めなくなる。
だから必死に止まらないように登ろうとするんだけど、対向車が多い。
避けるために止まらざるをえない。「ホンマにこんなところ車で走るな!」
と叫びたくなった。いや、泣き叫んでたかもしれない。
勿論、自転車で走るようなところでもない。そうこうしているうちに、
いつのまにか自転車は土をえぐる器械になっていた。全然前に進まなくなった。
何度もこけるようになった。5回目ぐらいだったかこけて横になったとき、
体に力が入らず動けなくなった。時間はとっくに1時を回っていた。
お腹がめっぽう空いていた。これがハンガーノックというやつなのか・・・
結局、菊澤先輩に付き添ってもらって押して上がった。しんどかった。
しんどかったのは勿論僕だけじゃない。山本は途中で水が無くなって、
対向車を停めてお茶をもらっていたし、村尾もかなり
フラフラだったらしい。これでかなり疲れも溜まってしまい、
心身共にボロボロになった感じだ・・・
8/15(合宿三日目)
体がかなり重かった。去年の合宿とは比べ物にならないくらいしんどかった。
しかも毎日のように雨が降る。第一梅雨明けしていないというのが納得いかん。
なんかグチってばっかだった。本当はこのページにも爽やかな合宿風景(?)を
載せたかったのにぃ・・・この夜大雨がテントを襲い、シュラフがグッショり
濡れてしまい、ますますブルー入ってしまった。
8/16(合宿四日目)
門田先輩が体調を崩しかけていた。このため特別に門田先輩はショートカット
することになった。さて、この日山本がいきなりチェーンをふっ飛ばす。
おかげで、あのくそ重たいメカ工具が役にたった。途中、トンネル内で
壁に激突した直後の車を見た。下りで結構スピードが出ていたので、
あまりよくわからなかったが。子どもの泣き声が痛々しかった。
CP1で門田先輩といったん合流した。そこで、山本が何の虫にさされたのか
わからなかったのだが腕が腫れ上がっていたので、門田先輩のショートカット
に同行し、病院へ行くことになった。しかし、昼食は合流した後ということに
なってしまう。しかも疲れが溜まっていたせいか、昼頃には
バテバテになってしまっていた。先頭の僕がスピードダウンしてしまったので、
ペースは一向に上がらず結局昼飯は4時。食後も全然回復せず、ナイトラン。
ところで、キャンプ場の近くで、山本&門田先輩&菊澤先輩の班が「熊」を
見たらしい。これと同じメンバーで登山ポタのときは「猪」を見たらしい。
どうやらこのメンバーは動物に縁があるようだ。ちなみにこの晩、野外活動
センターでテント泊の予定だったが、「熊がでるのでテントはやめてください」
といわれ、テリーを借りることになった。
8/17(合宿五日目)
門田先輩は体調が優れないので、結局リタイアすることになってしまった。
僕も疲労がピークに達してきた。どんどんしんどくなっていく。
とりあえず昼までは問題無く進めた。昼の後、昨日あいている病院が
みつからなかった山本が病院に行くことになったので、菊澤先輩が付き添いった。
この日は食事も済んだ後だし問題無いかとか思っていたのに、昨日から時間が
押しているので予定の場所で食購ができるかどうか解らなくなってきた。
しかたなく、峠の手前で食購することになってしまった。そして、その峠を
登っている途中に思いっきりバテてしまった。体がほとんど動かない。
たいした坂でもないのに、インナーローでも前に進むのがやっと。
登り切ったときはほとんど体が動かなかった。とりあえず峠を下ってから、
キャンプ場へ登っていく自信が無くなったので、先輩に駅寝でもなんでも
いいから下で寝かしてくれと頼んだ。そのため、先輩が交番に民宿の場所を
聞きに行ったのだが、お巡りさんは「民宿に飛び入りは悪いから、キャンプ
場まで送ってあげよう」と僕と輪行自転車をパトカーで運んでくれた。
角館署田沢湖交番のみなさん、ありがとうございました。
8/18(合宿六日目)
「一日寝たら回復する」と思っていたのに、全然体力が戻らない。
結局、CP1の時点で登っていく自信が無くなってしまい、
リタイアすることにした。
よって、この後のことは山本の話を参考にする。
昼までは順調に行ったのだが、坂で村尾が遅れることが多かった。
そのまま夕方になり、予定のキャンプ場の前にきつい坂があったので、
村尾がしんどそうできついだろうから、キャンプ場を変更した。
下っている途中にキャンプ場があったのだが、看板が反対を向いていたので
通り越してしまった。その別のキャンプ場をみつける。しかし値段が高かった。
結局また上っていくことにした。その晩のご飯も大変だった。
みゅー(大井)がリタイアしたとき、なんと、ビーフシチューの素を
持っていってしまっていたのだ。しょうがなく、味噌汁でその場をしのぐ。
8/19(合宿七日目)
朝、食べる予定だった味噌汁を既に食べていたので、昼の予定だった缶詰を
食べることにした。そのため、昼のご飯がなくなってしまい、コンビニに寄る。
夜は強風が吹いて大変だった。風の音がうるさくてなかなか寝られなかった。
コッフェルがこけて、米と水がこぼれてしまい、入れ直したりした。
切ってあったネギとかも飛んでいった。山本がトイレに行こうとテントを
でたら、中に村尾がいたテントはこけた。村尾はノンリアクションで
あったため、山本は気づかなかったらしい。
前日早く着いていたため、4:30起床。ところが、昨日の夜コッフェルが
ひっくり返っていたため、水加減がめちゃくちゃになっていたらしく、
朝ご飯を炊くのに時間を費やした。結局芯飯を食べた。山本曰く、
この日は下りばかりと聞いていたので楽だと思っていたら、15%のUPが
ありとんでもなく辛かった。この日は大工夏合宿初?の温泉に浸かり、
少しは楽になったとか。もちろん、体は3回ほど洗ったらしい。
そしてキャンプ場へ到着。みゅー(大井)と合流する。
その後、コンパの買い出しのために僕と吉野先輩と菊沢先輩が出発。
スーパーの中の酒屋で、領収書に「大阪工大サイクリング部」と
書いてくださいと頼んだら、「大坂工大サイクリングブー」と書かれた。
おい、わしら高木ブーじゃないんだから、ブーはないだろ、ねえちゃん!
しかも「大坂」って、江戸時代じゃあるまいし・・・
この日無事すき焼きと飲み会が行われ、ほのぼのと(?)就寝したのでした。
8/21(合宿最終日)
やっとこさ合宿も最終日。距離もたいしたことなく、下りばっかりなので、
すぐに青森駅に着く。駅前でエールをかけ一応解散。一緒に銭湯に行き、
郵便局に行く。ここで本当に解散。菊沢先輩は恐山を目指し出発。山本は
前日の飲み会のせいでボコボコになり、ツアーにも行けず家に帰ることに。
村尾は適当に行きます、といずこへか出発。僕と吉野先輩は共に北海道に
行くことにしていたので、一緒に海峡に乗って青森を後にした。
以上、「大工夏合宿’98in東北」の
光景でした。
8/18(本来なら合宿六日目)
田沢湖駅まで戻って輪行。電車を待つのだが、新幹線はくるんだけど、
鈍行は全然来ない。そーいや、秋田新幹線ってこんなとこ通っていたのか・・・
でも、「新しい幹線」じゃあないと思うんだけどな。この田沢湖線は・・・
18切符で新幹線と同じ路線に乗れると思うと得したような気もするんだけど、
やっぱり単線で「新幹線」というのは無理があるんじゃないかな?
ところで、この日はその田沢湖線と東北本線に乗ったのだが、
合宿中風呂に入っていないのでとんでもない異臭発生源だったのでは?
通勤、通学ラッシュに引っかかっていたのでとんでもない迷惑だったかも。
ボーっと外を眺めていたら登坂車線が見えてひとりブルーになっていた。
この夜、青森市内の「青い森公園」でシュラフにくるまる。テントもなし。
雨をよける屋根と快適なベンチが・・・って、これじゃあ単なる浮浪者だよ。
8/19(本来なら合宿七日目)
朝、人がたくさん集まってきた。しまった!やはりラジオ体操か?
仕方なくいっしょにラジオ体操した。しかし、第二体操ができない!?
約10年ぶりの第二体操で撃沈してしまう。ところで、よく見たら
お年寄りの女性ばっかりだった。子供はわずかに2人。なんだかなぁ・・・
そんなこんなで、ラジオ体操も無事終わったし、これで静かになる・・・
と思いきや、おばあさんたちソーラン節を踊りだした?
続いて別の演歌で踊り出す。をいをい元気やなぁ、とどっちが年食ってるか
解らないようなことを思いながら、その場を離れるためコンビニへ行く。
帰ってきてもまだ踊っていた。ラジオ体操から約1時間ほど経っているのに。
そのままみんなで果物を食べはじめ、僕にも分けてくれた。どうも有り難う。
その日は公園で自炊したり、コンビニで立ち読みしたり、銭湯で2時間ほど
湯に浸かったり、コインランドリーのテレビを見たりしてして一日を過ごした。
体力は大分回復してきたのだが、なんかものごっつう辛い一日だった。
ちなみに昨日と同じ場所で寝る。
8/20(本来なら合宿八日目)
またラジオ体操組が集まってきた。雨も降っているというのに、みんな
ちゃんと来るんだね。とか思っていたら肝心のラジカセ係が来なかったので
解散してしまった。出発するまで時間があるので、ゆっくり準備をしていたら、
近くに座ったおっちゃんに「東北弁マシンガン攻撃」をくらわされた。
うーん、はっきりいって何言ってるんだか全然わかんねー。
そうこうしているうちに昼も近づいてきたので出発。昼過ぎキャンプ場到着。
ホカ弁を食べながら合宿御一行を待つ。そして何とか合流した。
夏合宿八日目へ
※注釈※
東京(品川)駅と大垣駅を結ぶ、夜行快速「ムーンライトながら」のこと。
料金は普通運賃と乗車整理券(310円)のみでよい。結構人気のある列車で、
早いめに乗車整理券を買っておかないと乗れない。特に18切符のシーズンは
なおさら。山本は早いめに購入したらしい。なお、休みのシーズンはこれと
ほぼ同じ時間にほぼ同じ場所を走る臨時大垣夜行が出る。僕らはこれに乗って
いった。
なんでも、お兄さんに車で送ってもらったとか。お兄さんはすぐに
帰っていったそうな。合宿中聞いた話によるとあまり似ていないらしい。
詳しいことは判らない。なぜなら村尾が到着した時、
僕は寝こけていたからだ。
CPとはチェックポイントの略。大工の合宿では一日5つぐらいある。
だいたい1時間半から2時間ぐらいの距離に設定してある。
ということは、出発1時間程で・・・
大工の合宿は、水しか飲んではならないという決まりがある。
即ちこれは違法行為。まあ、非常事態だったから仕方ないとは思うけど。
峠を越えた後、みんなで沢の水を汲んで飲んだ。とてもおいしかった。