いかじゅうさんの掲示板に書いていたら、妙に熱くなったので、 ここにその思いを記す。お題は天下を望んだ英雄。

織田信長

この男は、天才という言葉でしか表せないと思う。 そして、時代の先を進みすぎていたため、この時代の人々には 受け入れられなかった。いや、現代でもこの天才は受け入れられないだろう。 彼が作った組織は本当に実力本位。人の効率よい使い方を心得ていた。 今の日本には、どこを探しても無い組織であろう。勿論発想も斬新。 合理的精神とは、この人のためにあるのではないかとさえ思われる。 それは長篠の合戦の鉄砲3段撃ちをみれば、十二分にわかるはずだ。 では、彼の性格は合理的だったのか?まず、”うつけ”については、 人から実力を隠し通しているので、あまり問題はないと思う。 では”短気”はどうなのか?これが織田信長の最大の欠点と捉えられがち なのだが、そうでもないと思う。まずは、信長の”即断”につながっている。 電光石火の戦術を駆使できたのは、行動力と激しい性格によるものだ。 次には部下へのアピール。絶対服従を誓わせるには手っ取り早いものだ。 ただ、やりすぎで本能寺にて倒れたのは否めないが。 それに彼は忍耐するべきところは耐えている。武田信玄には できるだけ敵対しないよう頭を下げ続けていたわけだし。 この性格は織田信長の長所を多分に含んでいると思う。

明智光秀

この人の本能寺での反乱はどうだったのであろうか。 最大の要因は信長との性格の不一致。というより、思想から行動から 信長と正反対の位置にいた人物ともいえる。いわば旧体制の代表者。 まず、この人が暗いといわれる原因を考えてみよう。 とりあえず、謀叛を起こしたという事実。これが第一の原因だと思う。 次に、彼を倒したのが秀吉という事実。底抜けに明るい秀吉といつも対比 される光秀が暗く見えるのは当然のこと。相手が悪すぎる。 そして、華々しい武功が無いこと。織田軍団の中には人材が豊富。 柴田勝家みたいのが隣にいるんじゃあ、 光秀の武功が目立たないのもしょうがない。結局は文治的な面が強調 されてしまうのも仕方がないかもしれない。趣味も旧体制的な色が濃いものだし、 これらの側面で、彼がマイナスイメージを持たれているのではないか? もちろん、この人が根っからの悪党だったとは考えにくい。 幕府再興を志し、時流が信長の方へ傾いたときは確かに将軍を見捨てたが、 それも戦国の生きる道としては当然のことだ。比叡山の焼き討ちの中止を 信長に求めるところからも、悪党であると結論づけるのは無理に思われる。 最終的に信長は光秀を切り捨てようとしたのか、奮起させようとしたのか、 光秀を追いつめた。これまでの鬱憤と追いつめられた恐怖から 突発的に謀叛を起こしたのではないかと推測される。

豊臣秀吉

言うまでもなく、日本最大のサクセスストーリーの持ち主。 庶民階級の出であるため、その人柄は政界に登場するにはあまりにも 異色の存在である。彼も信長とは少し違うが合理的精神の持ち主である。 人の機敏に通じる能力はおそらく日本史上第一人者であろう。 彼は信長という主君がいなければ歴史に名を残すことはなかっただろうし、 彼のような人物を抜擢し使った信長もまた恐ろしい眼力を持っていた。 若年は聡明だったのに、晩年は単なる権力にとり憑かれた老人になってしまうのが、 みゅーがあまりこの人物が好きではない理由である。 彼の成金趣味なところも好きではない。では、なぜこうなってしまったのか? まずは彼の出自。強烈なコンプレックスを持っていた。その過去を消したかった。 それが成金趣味に陥った理由ではないか?彼は関白や征夷大将軍になるため、 色んな家に養子に入ろうとしたりしたところからも、コンプレックスの 大きさが伺える。また、配下の武将が農民出身とあざけり、心服しなかったり したことも大きいだろう。結局、彼は権力や財力を見せつけることで その手の武将を服させようとしたのだろうか。後は子宝に恵まれなかったこと。 そして無理な相続劇。もうこのへん、気持ちとしてはわからんでもないが、 若年あれほど聡明だったことを考えると醜くて辛い。信長みたいに 実力主義ではなく、人情的な政治が破綻してしまったというところか。

徳川家康

この人を表す言葉はズバリ二つ。忍耐の人、狸親父だ。 でも、やっぱりこの人は利害計算高い人だと思う。それも並外れた。 彼の忍耐は利害計算から出たものだと思う。今川より織田を選んで 清洲同盟を結ぶ。そこからは信長にできるだけ逆らわずに忍耐を続ける。 長男も信長の命で殺す。姉川の戦いでは大量に援兵を出すのだが、 信玄が攻めてきたときには信長はほとんど援軍を送ってこない。 それでも家康は信長との盟約を違えぬよう、忍耐するのである。 ・・・と、まあ世の中ではこんな感じなのかな。でも、これは利害計算でしょ。 信長はその性格上、一度背くと容赦はしない。しかも、甲斐、信州からは常に 武田信玄が狙っている。これじゃあ、清洲同盟を破ったら徳川に明日はない。 だから、どっちかというと狸親父のほうが似合っているんだと思う。 でも、家康も苛烈な一面をもっている。ただ、苦労が多いのかそれを 表に出すことはあまりなかった。晩年、執念という形でそれがふきだしたのかも。 長男信康は激烈な性格を持っていたともされるが、それは家康の性格か? そういや、秀康もそういう面が色濃いな。

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見にくくてスマンです。えー加減に作ったモンで・・・